みちとギター

子育て、読書、日々のかんがえ

降り積もる本

世の中には本の虫と呼ばれる人がたくさんいるので、「趣味は読書です」と胸を張って言えないできた。

「ではどれくらい本を読みますか?」ともし聞かれて自分の読書量(年に100冊くらい)を正直に答えたら、なんだそれだけか、と思われるのではないかという不安があった。

しかも、最近は悲しい話に対する免疫力がなくなってきたので、うっかり悲劇に当たらないよう、小説を避けている。

もっぱらノンフィクションばかり。

「どんな本を読むのですか?」

「最近はノンフィクションを……」

(なんだ、小説は読まないのか)

と、また被害妄想に似た架空のやり取りが頭の中で始まる。

 

大事なのはジャンルや冊数ではない、読むことへの熱量だとわかっていても、なんだか本の話を人とできないでここまできた。

 

でも。冊数は相変わらず変わっていないけど、最近は良書との出会いに恵まれ、

次々と本を読むのが楽しくて仕方ない。メガホンで叫びたいほど、「趣味は読書です」。

 

岡田節人先生や日高敏隆先生の生物学のお話しは、世界の不思議で満ちているし、

ターシャ・テューダーや西村玲子さん、角野栄子さんの自立した生活には身もだえるほど憧れる。ほしよりこさん、坂崎千春さんのエッセイを読むと刺激を受けながら、かつ温かい気持ちになれる。

 

一冊で人生が変わった! という出会いはまだしたことがない。

それは宝くじに当たるようなものなのだと思う。

そういう劇的な幸運はなくとも、読んだ本たちは、知らぬ間に自分の一部になって

道に迷ったときに行き先を示してくれたり、人に言えない悩みにそっと寄り添ってくれたりする。

 

本は、降り積もるものだと感じる。

たくさんの人々の叡智が、私の心にやさしく積もっていき

ある日ふと目を上げれば、視野は少し広く高くなっていて、以前より見晴らしのいい景色が見えるようになっている。

『 ターシャ・テューダー 静かな水の物語 』  感想

4月15日公開の『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』を観てきました。

 

  ”アメリカを代表する絵本作家、ターシャ・テューダー  

   <スローライフの母>からあなたへ贈る、永遠の生きるヒント。”

 

と公式サイトにあります。美しいのどかな光景が流れる癒し系作品と思いきや、鑑賞後に残るのはターシャの強靭な精神への、畏怖に近い敬意です。

 

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 ターシャ・テューダーバーモント州の山奥で、植物と動物に囲まれたスローライフを貫いたことを知る人は多いでしょう。子どものころ絵本で見た魔法使いのおばあさんのような風貌で、痩せた身体に古びたワンピース、白髪頭にはスカーフを巻き、愛犬であるコーギー犬を傍らに、庭仕事や編み物に勤しむ姿を見たことのある人もいるはずです。

 

 たしかに映画の中の光景は、のどかで美しいターシャの暮らしが大半を占めています。しかしそれらをバックに語られる彼女の人生は、決して平穏なものではありませんでした。

 

 はっきり言って、ターシャの母と夫は、ろくでなし! でした。ナレーションで紹介されるエピソードを観て「あんたら勝手だな!」と心の中で叫びました。しかし驚くべきは、それがターシャの人生にほぼ影響していないということです。ターシャが彼らを語るのはほんの短い部分。母が育児をせず乳母に育てられたことについては「お母さんを二人持てたことは幸せね」と自然に語っていました。繕っているのでも、無理やり目をそらしているのでもなく、むしろ彼らとの思い出を愛していることが伝わってきました。

 人によっては、被害者意識にからめ取られたまま過ぎてしまう半生だと思いました。でもターシャはまったくそうなりませんでした。きっと、彼女の最も重要な関心事が、いつでも「自分はどう生きたいか」ということだから。他人や生まれは自分の思い通りにならない。ターシャは、自分の力でどうにもならないことに固執しなかった。その代り、自分の力で変えられるものに、全精力を注いだ。

 

 諦めないことよ。古いソファに埋もれるように座り、91歳のターシャは言っていました。彼女が描いた絵本から漂う平和で牧歌的な雰囲気とは対極の、頑強な精神を内に秘めていた人なのだと知りました。

 

 あの美しい庭の土には、並々ならぬ覚悟と決意が埋まっている。自分にとっての楽園を作り出すには、困難に揺るがない信念が必要なのだと、ターシャが育てたバラが、シャクヤクが、リンゴの木が、風に揺れながら語っていました。

 

 

何人かの 死んだ私について

広島カープがリーグ優勝した。

私の大好きだった広島カープ

優勝した、らしい。

 

 カープを好きになったきっかけは前田智徳選手だった。

 今でも映像としてはっきりおぼえている。10年以上前、まだ私が20代前半のころ、神宮球場で対ヤクルト戦を観戦したときのこと。その日はチケットがあったので、たまたま観に来た、という感じだった。外野席でどちらのチームにも肩入れせず、のんびりと球場の雰囲気を楽しんでいた。そして試合が終盤にさしかかったときのこと。当時ヤクルトで現役バリバリだったラミレスが自打球をした。タイムがかかる。時間帯のせいもあって、守備についていたカープの選手たちの緊張が一斉にゆるむ。手足をだらんとしたり、ことの成り行きを見守って立ち尽くしたり。そんな中で、突然、ライトを守っていた選手が素振りを始めたのだ。それは、ないはずのバットが見えるほど、本気の鋭い素振りだった。強い眼光を放ちながらたった一人、試合中断のほんのわずかな時間も惜しんで技術の向上を図る男。その人の背中には大きく「1 MAEDA」と書かれており、私はその瞬間に、ファンになったのだ。

 

 それ以来、前田選手を見るために東京で行われるカープ戦に何度も足を運んだ。2000本安打を達成した際には記念DVDも買った。カープを追いかけるうち、前田選手以外にも好きな選手が何人もできて、試合のある日は夜のスポーツニュースを待てず、携帯電話で結果速報を常にチェックするほどファンになっていった。

 

 その私が、この25年ぶりの歴史的優勝を決定した試合はおろか、今シーズン、いや、4年前から、1試合も観ていないのだ。

 

 理由は、娘の出現。

 30歳で出産した。

 手のかかる赤ちゃんだった娘と過ごした最初の半年くらいのことは、ほとんどおぼえていない。思い出したくない。慢性的な孤独と睡眠不足を抱えながら、自分のトイレも食事も思うようにできない生活は過酷だった。いつだって、すきあらば、眠りたかった。眠ること、ゆっくり食事をすること、だれかと話すこと。私の願望の上位には常にそれらが並んでいて、スポーツニュースを見ること、球場へ行くこと、などは2万光年の彼方へ消え去った。

 

 前田智徳以上の影響力をもって私の生活に入ってきた娘は、私の中の最重要人物となり、生活や思考パターンを一変させた。

 

 もはや1試合通してテレビの前で観戦するなど不可能。日々の試合結果を追うことも、ましてそれをシーズン通して続けることも同じ。それを悟った私は野球を観なくなった。悔しいからあまりそれについて考えることもしなかった。ただ、インターネットのブックマークからカープ関連のものを消し、前田選手の記念DVDは棚の奥底にしまった。

 

 出産をして、育児をして、それ以前の私の中に何人かの私がいたとするなら、その半分以上が死んだ。

 

 野球観戦が好きだった私。読書、買い物、音楽。自分のことだけ考えてた私。

 これからする話は決して愚痴ではない。新しく生まれた私もいるし、今、出産から4年経って、一度死んだのに再会できた私もいる。出産する前に戻りたいとも思わない。

 

 でももうこの世にはいない私がはっきりと何人かいる。その多くは今思えば、自分勝手な生活を謳歌する鼻もちならない傲慢なヤツなんだけど、もしまだ生きていたらこのカープの優勝をどんなに喜んだだろう。

 

 私にはわからなくなってしまった。でも、よかったね。おめでとう。