みちとギター

子育て、読書、日々のかんがえ

何人かの 死んだ私について

広島カープがリーグ優勝した。

私の大好きだった広島カープ

優勝した、らしい。

 

 カープを好きになったきっかけは前田智徳選手だった。

 今でも映像としてはっきりおぼえている。10年以上前、まだ私が20代前半のころ、神宮球場で対ヤクルト戦を観戦したときのこと。その日はチケットがあったので、たまたま観に来た、という感じだった。外野席でどちらのチームにも肩入れせず、のんびりと球場の雰囲気を楽しんでいた。そして試合が終盤にさしかかったときのこと。当時ヤクルトで現役バリバリだったラミレスが自打球をした。タイムがかかる。時間帯のせいもあって、守備についていたカープの選手たちの緊張が一斉にゆるむ。手足をだらんとしたり、ことの成り行きを見守って立ち尽くしたり。そんな中で、突然、ライトを守っていた選手が素振りを始めたのだ。それは、ないはずのバットが見えるほど、本気の鋭い素振りだった。強い眼光を放ちながらたった一人、試合中断のほんのわずかな時間も惜しんで技術の向上を図る男。その人の背中には大きく「1 MAEDA」と書かれており、私はその瞬間に、ファンになったのだ。

 

 それ以来、前田選手を見るために東京で行われるカープ戦に何度も足を運んだ。2000本安打を達成した際には記念DVDも買った。カープを追いかけるうち、前田選手以外にも好きな選手が何人もできて、試合のある日は夜のスポーツニュースを待てず、携帯電話で結果速報を常にチェックするほどファンになっていった。

 

 その私が、この25年ぶりの歴史的優勝を決定した試合はおろか、今シーズン、いや、4年前から、1試合も観ていないのだ。

 

 理由は、娘の出現。

 30歳で出産した。

 手のかかる赤ちゃんだった娘と過ごした最初の半年くらいのことは、ほとんどおぼえていない。思い出したくない。慢性的な孤独と睡眠不足を抱えながら、自分のトイレも食事も思うようにできない生活は過酷だった。いつだって、すきあらば、眠りたかった。眠ること、ゆっくり食事をすること、だれかと話すこと。私の願望の上位には常にそれらが並んでいて、スポーツニュースを見ること、球場へ行くこと、などは2万光年の彼方へ消え去った。

 

 前田智徳以上の影響力をもって私の生活に入ってきた娘は、私の中の最重要人物となり、生活や思考パターンを一変させた。

 

 もはや1試合通してテレビの前で観戦するなど不可能。日々の試合結果を追うことも、ましてそれをシーズン通して続けることも同じ。それを悟った私は野球を観なくなった。悔しいからあまりそれについて考えることもしなかった。ただ、インターネットのブックマークからカープ関連のものを消し、前田選手の記念DVDは棚の奥底にしまった。

 

 出産をして、育児をして、それ以前の私の中に何人かの私がいたとするなら、その半分以上が死んだ。

 

 野球観戦が好きだった私。読書、買い物、音楽。自分のことだけ考えてた私。

 これからする話は決して愚痴ではない。新しく生まれた私もいるし、今、出産から4年経って、一度死んだのに再会できた私もいる。出産する前に戻りたいとも思わない。

 

 でももうこの世にはいない私がはっきりと何人かいる。その多くは今思えば、自分勝手な生活を謳歌する鼻もちならない傲慢なヤツなんだけど、もしまだ生きていたらこのカープの優勝をどんなに喜んだだろう。

 

 私にはわからなくなってしまった。でも、よかったね。おめでとう。